hannahmama's blog

原発性胆汁性肝硬変と診断され、戸惑いつつも子育てに奮闘中。2014年初め、日本、英国両方の医者により、自己免疫性肝炎とのオーバーラップと診断を変更される。病気に関することやしないことをのんびり(この病気にはこれが肝心!)綴っていきたいと思います。

つらい別れ

ハロウィン前日に、実はつらい別れがありました。

 

私が初めてイギリスに来たのは21年前のちょうど今頃、ハロウィン後からクリスマス前の1ヶ月間のホームステイでした。

その時のホストマザーは74歳、ロンドン郊外のサリー州のテムズ川上流の小さな街に住んでいる、とても明るくて優しいおばあさん。

 

前半の半月は毎日電車で30分かけてロンドン中心地にでかけ、観光したり買い物したり。おばあさんはいつもサンドイッチと果物、チョコバーなどのお弁当を持たせてくれました。

そんな日々にも飽き始めてきた頃と、おばあさんと仲良くなり始めたタイミングで何かが切り替わり、後半はどこにも出掛けず毎日おばあさんと家事を一緒にして、たまには徒歩30分近くの最寄りの街まで買い物を頼まれ、近所のお年寄り付き合いに参加し、テムズ川沿いの公園に犬の散歩に出掛けたりして日々を過ごしました。

こんな年寄りと毎日一緒にいてつまらなくないの?

と心配されましたが、これこそがホームステイの醍醐味!と思ったのと、単純に彼女といることが楽しかったのと、観光に行くよりよほど英語が上達することに気付いた私はまさに現地生活を満喫、それ以前にアメリカにもホームステイに行っていたのですが、イギリスの方が肌に合ったというのか、このステイ以降いつかイギリスに住みたいと思うようになりました。

 

この2年半後、1年間語学留学でまたロンドンにやってきた私はドキドキしながらおばあさんを訪ねました。

あの時私を覚えていたかどうかは怪しいけど、ちょうど息子たちが遊びに来ていて、彼が私を思い出したのか案外すんなり輪に入れてもらえて、またおいで、と。

 

それからは留学先でひとりで寂しかったこともあってひと月に一度くらいのペースで遊びに行くように。いつも一緒にローストディナーを作って食べて、何十年も続いている橋田壽賀子的なドラマを見てあーだこーだ言い合いながらデザートを食べてから帰る、ただその繰り返し。

 

一度日本に帰りましたが、縁があったようで留学中のバイト先に仕事が決まり、労働ビザを取ってもらえたのでまた舞い戻ってきて、それからもずっと定期的に会いに行きました。

段々歳を取るにつれ、体のあちこちが不自由になってきたりしたので、気がつけばディナークッキングは私の担当に。お陰でイギリス育ち並にローストができるようになりましたよ。

 

お陰様で仕事も忙しく、いつも会いに行くのに前日連絡だったので、電話したら入院してた、なんてことも何度かありました。

段々心配になってきたな…と思っていた頃、突然、デヴォン州に引っ越す!と。

 

行ってみればとても素敵な海辺の街で、アパートも食堂つきでケアラーも毎日朝晩2回来てくれて、何人かとは今も私とフェイスブックで繋がってるほど仲良くなり、本人も楽しく暮らしている様子で安心しました。ただやはり訪ねて来る人は少なくなったのでそれは寂しいようでしたが、その頃ちょうど彼女の娘がフランス北部に、息子もスペイン北部に家を買ったので、そこからフェリーで会いに来てくれるようになり、なんとなくうまく歯車が回り始めた感じでした。

私は格安運賃のオファーが出たりする度に行くようにしていましたが、それでも訪れるのは年に3回か4回くらいに減りました。

 

仕事を辞めてすぐ結婚、妊娠、出産とバタバタしてなかなか行けなくなってきた頃、90歳のパーティーは盛大にやるから来てねと家族に誘われたので、一月半の赤ん坊を連れて参加。私の卵巣手術のことも知っていたので、私に娘ができたことをとても喜んでくれました。

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オーストラリアに住む孫やひ孫、ほぼスコットランドというようなイギリスの一番北側に住む妹やその娘たち、つまり姪っ子、その家族、そしてその時既に100歳近かったお姉さんも来てました。いいお天気で、息子がバーベキューをみんなに振る舞って、ケーキ食べてお祝いして…本当に素敵な時間でした。それからは年に一度旦那さまと娘と一緒に誕生日の週に会いに。

 

私の病気のことは内緒にしてましたが、ひどく肌荒れしていたり疲れが出て気分が悪かったりしていたのは気が付かれて心配されました。

もうほんとに、家族のようなお付き合いをさせてもらっていました。

息子たちも私のことを"extended family"とか言ってくれてます。

 

デヴォン州だとお世話するのに遠いから、娘が自分の家の近くにアパートを見つけて、でも色々手配するのに時間が掛かって、やっとヘイスティングス近くの街に今年の夏に引っ越したばかりでした。はじめのうちは電話もなかったりして、そろそろ落ち着いてきたかなー、会いに行こうかなーと思っていた矢先に娘から連絡が。

 

死因は老衰からくる大動脈解離(加藤茶さんと同じ病気。彼は助かりましたが)。95歳でした。もうこりゃ100までいくかな、ってくらい、期待以上に頑張ってくれました。

 

実の祖母か母親的な存在であり、親友のような存在だったので、散々仕事や恋愛の悩みを相談したり、はたまた彼女の家族や近所付き合いの愚痴を聞いたり、思い出話で盛り上がったり、料理を習ったり、二人で何も喋らず新聞のパズルをしたり…お互いのことを心配し合って助け合った20年でした。

私の英国生活は彼女なしでは始まりませんでした。感謝しきりです。

 

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昨日お葬式でヘイスティングスまで行ってきました。

5年前にパーティーで会った以来の孫達や昔の友達たちと会えて、一緒に思い出して、一緒に泣いてきました。少しだけ気持ちがラクになりました。

娘はフランスの家を売って、もうずっとヘイスティングスにいることにしたようで、これからはママがいなくても私に会いに来てね、絶対ね、と念を押されました。みんなそういって全然来ないんだから!と叫んでまわりも苦笑してました。自分の娘と息子が二人共オーストラリア暮らしなので、寂しいんでしょう。

 

いいお葬式だったと思います。日本と違って顔も見れないし、式自体はただ涙を誘うだけですが、みんなに会えて良かった。ちょっと前向きになれました。

今もつとめて考えないようにしていますが、それでも気を緩めると涙が。偏頭痛持ちなので泣いたあと散々。頭痛薬も肝臓には良くないし…まあ、しばらくは仕方ないですね。

 

おばあさんの冥福を祈るばかりです。